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長野県とヤクルトのつながりって?【長野県からはじまるヤクルト誕生秘話】
2020.11.12
ヤクルトの創始者・代田稔は長野県で生まれました。
長野県のお客さまにこの事実をお伝えすると、ほとんどの方が驚いた顔をされます。
意外と知られていないことなのですが、実は長野県とヤクルトには深いつながりがあるんです!
今回は、長野県からはじまる、ヤクルトの誕生秘話をご紹介いたします。
長野県で生まれた代田 稔
1899年(明治32年)、長野県飯田市 の 天竜川沿い の 伊那谷 で生まれた代田 稔。
代田の家は、紙問屋と養蚕業を営む裕福な家でした。
友達から“ぼーま”とよばれ、元気な少年だったといいます。
1913年(大正2年)になると、代田は旧制 飯田中学(現飯田高校)に入学します。
家から片道8キロの道を、毎日歩いて通っていたそうです。
ふるさとの伊那谷には当時貧しい家がまだ多く、
けわしい土地で、作物も十分にとれませんでした。
栄養をとって体力がつけば治るような病気でも、
命を落としてしまう子どもたちが多かったのです。
そんな現状に心を痛めた代田は、
胸の内にある想いを抱くようになります。
“ぼくは医者になる。いつかあの子どもたちを救えるような医者に…”
微生物研究の道へ
1918年(大正7年)、代田は 第二高等学校三部 (現東北大学医学部) に入学します。
仙台では学校の寮に入り、三畳一間で暮らします。
そして1921年(大正10年)、京都帝国大学医学部 に入学。
ここで、本格的に消化管に住む微生物の研究に取り組みはじめました。
そのころの日本は栄養状態も衛生状態も悪く、もちろん冷蔵庫などもなかったため、
赤痢やチフスといった伝染病が日本中に流行していました。
ここで代田が考えたのが“病気にかからないための医学” — 予防医学です。
人の体を強くしてくれる菌を見つけ出し、その“菌をもって菌を制す”ことで、病気に負けない体をつくる。
そのための研究は昼も夜も続きました。
▲ヤクルト創始者 代田 稔 博士
世界で初めて、人の健康に役立つ乳酸菌の強化培養に成功
そして代田は、良い菌のなかでも【乳酸菌】が腸の中の悪い菌を抑えることを発見します。
さらに、ひとくちに乳酸菌といってもたくさんの種類がある中から、
胃液や胆汁などの消化液にも負けず生きて腸に到達し、良いはたらきをする乳酸菌をみつけました。
代田は、その乳酸菌をさらに強化培養してもっとじょうぶな菌に育て、人々に飲んでもらうことで、人々の健康を守り続けることができると考えました。その発想は今まで全くなかったもので、けして平坦な道のりではありませんでした。
代田の研究の執念は、長野で過ごした少年時代にありました。
“強い乳酸菌こそ、子どもたちの強い体を作るはずだ。”
そんな代田の想いは、昭和5年、医学博士の学位をとり、京都帝国大学の講師となった年の暮れに実を結びます。代田が強化培養した乳酸菌 シロタ株が完成したのです。
そしてこの乳酸菌 シロタ株こそ、今日のヤクルトの生みの親となりました。
現在ヤクルトは、多くの清涼飲料や食品などを製造販売しています。
そして乳酸菌などの微生物や、その代謝産物を利用して、化粧品や医薬品なども開発。
そのはばを広げて、総合食品 医薬品メーカーとして大きく成長しています。
代田稔は、そんな会社の発展を見守りつつ、昭和57年3月10日 82歳でこの世を去りました。
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いま、東京都国立市のヤクルト本社中央研究所内には、医学博士 代田 稔 の生涯と、その歴史を受け継ぎ、研究技術開発活動を行うヤクルト中央研究所の取り組みを紹介する『代田記念館』があります。
(通常は予約制で見学を受け付けておりますが、現在コロナウイルスの影響で見学中止となっています)
実はその入り口にも、長野県のヒノキで作られたヤクルトが展示されています。
長野県とヤクルトのつながり、みなさまはご存知でしたか?
北信ヤクルトは、これからも地域のみなさまが健康に暮らせるよう、心より願っております。ぜひ、今後ともよろしくお願いいたします♪
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★乳酸菌シロタ株についてもっと知りたい!という方はこちらをクリック★
☆【代田記念館】ホームページはこちら☆(コロナウイルスの影響で現在、見学はできません)
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